サッカー日本代表がキリンカップ決勝でチュニジアに完敗し、サッカーファンの厳しい声が飛び交っています。
フィールドを駆け回るサッカー日本代表の胸にあるエンブレム八咫烏の意味をご存じでしょうか?また、ユニフォームの濃いブルーにどんな意味が込められているのでしょう?
詳しく調べてみました。

目次
サッカー日本代表のエンブレムの意味は
サッカー日本代表のエンブレムの意味を見てゆきましょう。
サッカー日本代表さむらいブルーのユニフォームの胸にあるエンブレムは、「八咫烏(やたがらす)」です。
⚽️試合終了⚽️
🏆AFC U23 #アジアカップ ウズベキスタン2022
🇯🇵#U21日本代表 3-0 韓国代表🇰🇷⌚️22:00KO<日本時間>
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八咫烏(やたがらす)とは
八咫烏(やたがらす)とは三本足の大柄なカラスです。
八は「末広がり」で幸運とされる数字ですが、漠然と「数が大きい」ことを意味し、咫(あた)は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)のことで、八咫烏は、大きなカラスという意味となります。
八咫烏(やたがらす)の意味
八咫烏は、日本神話では、天の神から使わされた鳥で、熊野で神武天皇の道案内を行い、吉野を経て橿原に行き大和朝廷を開く手助けしたことから、勝利の導き手、勝利のシンボルという意味合いがあります。
三本足は、天・地・人を表すともいわれています。
エンブレムに採用された理由
日本でのサッカーは、和歌山県那智町(現那智勝浦町)出身の中村覚之助(明治11年―39年)が、東京師範4年の時、フットボール部を創設したのが現在のサッカーの日本での始まりとされています。
日本サッカー協会が、協会のシンボルマークを創ろうという話になったとき、中村覚之助にちなんだものにすることになりました。
中村覚之助が生まれたのは、那智町浜ノ宮で、ここは、日本書紀や古事記に現れる神武天皇東征の伝説で、大阪から海伝いに南下して上陸した熊野の地です。
そこから大和の飛鳥あたり(奈良・橿原)をめざした際に神武天皇の道案内をしたのが、三本足のカラス、八咫烏(ヤタガラス)だったのです。
神武天皇は、結果として、大和朝廷を開くことができましたので、八咫烏は、勝利の導き手、勝利のシンボルという意味合いを持つようになりました。
また、天武天皇が熊野に通って蹴鞠をよくしたことにちなみ、よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められているともいわれています。
このシンボルマークは、大日本蹴球協会(日本サッカー協会の前身)創設に尽力した漢文学者・内野台嶺らの発案を基に、彫刻家・日名子実三が三本足の烏としてデザイン化し、1931年に、日本サッカー協会は「八咫烏」をシンボルとして採用しました。
いつから採用された?
公式ユニフォームのエンブレムとして「八咫烏」が採用されたのは、1987年からです。
その後、1996年~2009年 黄色のエンブレムなど、変化しましたが、2017年以降は、現在おなじみのエンブレムに落ち着いています。

なぜサッカー日本代表は青のユニフォーム?
2018 FIFAワールドカップロシアの前年、世界の頂点を目指した戦いに備えようと一新されたのが青のホームユニフォームです。
日本の伝統色である深い藍色を意味する"勝色(かついろ)"をコンセプトとし、ベースカラーに起用されました。
勝色(かついろ)とは、紺よりもさらに濃い、黒色に見えるほどの暗い藍色のことで、「かつ」は、藍を濃く染み込ませるために布などを搗かつ(叩くの意)ことからきています。
縁起色として、武将たちが戦いに挑む際身にまとった、鎧下と呼ばれる着物に使われる藍染の生地としてや、日清・日露戦争時の軍服の紺色に使われてきました。

八咫烏のエンブレムにSNSの反応は?


これが青いユニフォームと八咫烏と日の丸背負っているのかって、自分たちの国の「サッカー」なのかってところだ


八咫烏の許可なしに、八咫烏のマークをユニフォームに張り付けて、商売道具にしているからワールドカップの優勝、遠のいている現実
まとめ
わかりやすくまとめると
- サッカー日本代表のエンブレムの八咫烏は日本サッカーの始まりとされた中村覚之助のふるさと熊野の神話にもとづく
- エンブレムに採用されたのは、2018 FIFAワールドカップの前年から
- 八咫烏も、ユニフォームの深いブルーも勝利を導くという意味を含んでいる

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