3月23日、テニスの女子ランキング1位のアシュリー・バーティが、突然の引退をインスタで発表し、世界に衝撃が走りました。
バーティの電撃引退はこの時期になぜ行われたのでしょう?今後どのような道を歩もうと考えているのでしょうか?
これまでの経歴、翌日の記者会見などから電撃引退の理由と今後の道を探ります。

目次
バーティ電撃引退はなぜ?
バーティ電撃引退はなぜ?を細かく見てゆきましょう。
2022年3月23日突然の引退を発表
バーティは2022年3月23日インスタグラムで、突然の引退を発表しました。
インスタと翌日の記者会見のコメント
インスタグラムテキスト
テニスからの引退を発表するにあたって、今日はとても困難で、感情があふれています。
このニュースを皆さんとどう共有すればいいのかわからなかったので、親友のケーシー・デラクア(ダブルスを組んだ元テニス選手)に助けをお願いしました。
このスポーツが私に与えてくれたもの全てに感謝し、誇りと充実感を抱いて去ります。
これまで応援してくれた皆さん、ありがとうございました!一緒に作った思い出は、一生のものとして、ずっと感謝してゆきます🤍。
詳しくは、明日の記者会見で。
インスタグラム動画
「別の夢を追う」
「私はとても幸せで、すっかり準備ができている。いま心の中で、私という人物にとって、これが正しいことだと分かっている」
現在の気持ちは「テニスが私にくれたすべてにとても感謝している。誇りと満足感を覚えている」
「(ファンと)一緒に作った思い出は一生のもの」
自身の夢をかなえ「完全に出し切った」、「身体的にこれ以上はできない」
引退表明後翌日の記者会見
特に、今後について質問が集中しました。
「騎手だったりローンボウルズだったり、いくつか素晴らしいフォトショップの加工を目にしました」と冗談を交えて話した多才なバーティは、
「スポーツが大好きで、多くのオーストラリア人のようにスポーツマニアです。興味を引かれると思います。いろいろなことをやってみたいという意味では、私はいつもアスリートですが、どうなるか見ていてください」
オーストラリアの先住民ともっと仕事がしたいと考えていてるバーティは、「家で過ごすのが好き」だと続け、母親と父親と過ごす時間を大切にしたいと話しました。
「アスリートではなく、人であるアッシュ・バーティとしての私の次の章に何があるのか、ワクワクしているわ 」
「(今後については)静観しておいてください。今は全てを明らかにするつもりはない。大丈夫、きっと我慢できます。我慢は美徳です」
と、そっとしておいてほしいと締めくくりました。
なぜ引退するのか?3つの理由
テニス界でやり切った
2021年目標としてきたウィンブルドンで優勝し、さらに今年地元の全豪オープンを制し、2019年かのら114週連続ランキング首位のまま走り続けたことで、テニスで「完全に出し切った」と、完全燃焼した。
別にやりたいことがある
「アスリートではなく、人であるアッシュ・バーティとしての私の次の章に何があるのか、ワクワクしているわ 」と会見で話していたように、テニスがすべてではないという信念がもともとある。
「もっと別のやり方で貢献する時間を持ちたいとずっと考えていました。今はそのチャンスがあると思います。幸運にも、私はテニスから多くの機会を与えられました。そして今、自分が情熱を注ぐ方法でお返しをする準備ができています」
信念の生き方
テニスの絶頂期であっても、テニス界のセレブリティとは無縁でいました。
CMの撮影や試写会に出るくらいなら、家にいたいと思っていた。
インスタグラムで自分の人生を世界に公開したり、使いもしない製品に自分の名前を貸すようなことはしたくない。
昨年、バーティがオージー・ルール・フットボールの試合で狂ったように応援している画像が話題になった。彼女が拳を突き上げ、ビールを飲み、典型的なオージーであるというジョークが飛び交いましたが、彼女はスイートルームではなく、一般の観客席に座っていたのです。自分を特別な存在にしないという思いが行動に表れています。
2019年コロナ感染が落ち着き、8月にWTAツアーが再開しても、感染を懸念し、ランク1位でありながら、大会には参加しなかった。
パンデミック時以外でも、プレーのために海を渡るような旅にはうんざりしていた。そこで、彼女は自分なりのスケジュールを組んだ。
2014年に、テニスツアーから離脱した行動も含め、常に、自分の人生を正しく全うしたいという信念があるように思われます。
すなわち、テニスがバーティの人生のすべてではないということです。
バーティの今後の”別の道”とは?
今後の”別の道”を探るにあたって、アシュリー・バーティのこれまでを見ておきましょう。
プロフィール
オーストラリア・イプスウィッチ出身1996年4月24日 生まれの25歳。父親にはアボリジニの血が流れています。
女子プロテニス選手としては、引退前のランキングは、シングルス1位で、WTAツアーでシングルス15勝、ダブルス11勝を挙げており、4大大会全ての女子ダブルスでも1度ずつ準優勝しています。
2010年にプロデビューし、ダブルスでケーシー・デラクアと組み、2013年全豪オープン、2013年ウィンブルドン選手権、2013年全米オープンの3大会でいずれも準優勝者となった。
しかし、燃え尽き症候群となり、2014年の全米オープン後に「テニスから離れる」「若い頃から試合のために旅をし続け、あまりにも忙しかった。ふつうのティーンエイジャーの生活を送り、ふつうの経験をしたい」とツアー離脱を表明し、2015年には、クリケット選手としてKFCビッグ・バッシュ・リーグでプレーし、才能を発揮しました。
2016年2月にテニス復帰し、2017年シングルスで飛躍し、年初271位だった世界ランキングは、最終的に17位まで急上昇した。
また、全仏ダブルスでも、準優勝しました。
2018年 全米オープンダブルス優勝
2019年 全仏オープン初優勝、WTAファイナルズ初優勝、世界ランキング1位となりました。
2020年 全豪オープンで、ベスト4入りするも、このとしは、コロナ禍での感染の懸念からツアーを離脱しました。
2021年 ウィンブルドン初優勝、五輪銅メダル、ランク1位の在位100週間とした。
2022年 地元の全豪オープン優勝を飾った。
3月23日に引退を発表しました。
Our 2021 champion has announced her retirement from tennis 💚 💜
It's been a pleasure, @ashbarty pic.twitter.com/xcqn9fl2Il
— Wimbledon (@Wimbledon) March 23, 2022
別の道
本人が明かしていないので、あくまで推測ですが。
・クリケット復帰
・プロゴルフやオーストラリアンフットボール転向
・オーストラリアの先住民アボリジニとの仕事
・「家で過ごすのが好き」だと続け、母親と父親と過ごす時間を大切にしたい。
・子どものスポーツへの貢献
「より多くの子どもがスポーツをし、夢を追いかけるようになったことに私が少しでも貢献できていることを、心から誇りに思う」(1月)
オーストラリアでは昨年、テニスをする子どもが3割近く増え、特に先住民と女子が多いという。

バーティ電撃引退に世界の反応は?

!!!あなたの引退後もよろしく、あなたの卓越したキャリアにお祝を!



まとめ
わかりやすくまとめると
- バーティ電撃引退はテニスが人生のすべてではないとの信念など3つの理由がある
- 今後進む別の道として多くの可能性を挙げた
- 引退の決意を賞賛し、バーティがテニス界を去ることを惜しむ声が多い

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