なんと。川口は海だった!


ザッツ川口を

遥か昔の川口は、なぁ・・・

今から2万年前の先史時代、埼玉県川口市の南部は海だった。市内には、縄文時代の貝塚がいくつか発見されている。その中の一つ安行貝塚で発見された土器は、安行式土器として土器形式の一つとして分類されている。安行式土器は多く関東中心から出土しているらしい。

「川口」という地名も、今でいう荒川が海に注ぐ「川の口(河口)」であったことが由来の一説。文献には「義経記」の1180年頃の出来事に「川口」の地名が見られると言う。

戦国時代は太田氏・北条氏らが支配し、江戸時代には幕府直轄領となる。現在も使われている見沼代用水などの灌漑治水によって、農業が栄えた。徳川家康の霊廟が日光東照宮に置かれてからというものは、日光御成道が市内を通り、将軍の日光参詣の際には宿駅の役割も果たした。

川口の代名詞とも言える鋳物産業も江戸時代から発展した。製品は荒川や芝川を経て舟で江戸へ運ばれた。また、たびたびの大火で建物が焼失した江戸への木材供給地として、安行地区を中心に、植木・苗木の栽培も盛んとなった。

そして現在の川口へ・・・

「川口市」が誕生したのは昭和8年。その後も近隣の村を合併し続け、平成23年には鳩ヶ谷市を合併、現在の川口市がつくられた。荒川を隔てて東京都と接しているため、住宅都市化が進んでいる。川口駅近辺には高層マンションも林立しており、特に、平成10年に建てられた「エルザタワー55」は、高さ185m、55階建てで、当時としては日本最高層の住居建造物であった。

鉄道網としては、JR京浜東北線、武蔵野線が主たるものだったが、平成13年に埼玉高速鉄道が開業、市内を南北に貫き、東京都心方面への新ルートができた。

現在の人口は58万人、埼玉県内ではさいたま市に次ぐ第二の都市となっている。

そして、今、あなたがいる・・・

    

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